ここに泉あり その2

ここに泉あり -本校の教育が問いかけるもの-

3.本校の教育が問いかけるもの

 本校は憲法・教育基本法を教育理念の基本に据えている。教育基本法のめざす教育とはどのような教育なのだろうか。
 「学校は、個人に大きい意義を認めていない間は新しい教育に成功することはできない。学校は各生徒を無限の価値を有する存在として、尊敬し、その全教育を個人の福祉ということを心において計画しなければならない。そして、個々の生徒を、その必要と興味と素質とに基づいて、その生徒のもつ可能性の最大限にまで発達させることを、最も重要な教育目的とすべきである。この原理は、教科課程と学校管理とあらゆる教師の教育目標の基礎でなければならない。」
 これは教育基本法が日本の教育の中に生き生きと生きていたころ(1949年)、文部省から発行された「新刊中学校・高等学校・望ましい運営の指針」という文書の中にある一節である。教育基本法のめざす教育とは、この文書の言うように、子ども・青年を「無限の価値を有する存在」として尊敬し、その可能性を「最大限にまで発達させる」教育に他ならない。
 本校ではその内容を「学生が主人公」という言葉で表現している。それは学校のすべての機能や活動は「学生のためにこそある」ということであり、学生の能力・可能性に対する限りない尊敬と信頼に基礎をおくということである。それは学び、学校生活のあらゆる場面で、学生の自主的・主体的活動を保障し育てるということであり、それはまた学生たちの自治能力と活動に依拠するということでもある。一章・二章でみてきたような学生の成長は、その成果と言えるであろう。
 逆の面から言えば、学生に対する抑圧やしめつけ・強制とは無縁であり、学生を選別・きめつけ・序列化の対象とは絶対に見ないということでもある。学校の学生の対する信頼は基本的に学生と教職員の相互信頼を育て、暖かみのある、人間に対して優しい思いやりのある校風を育てていると私は思う。本校において教育基本法はりっぱに生きていると確信する。
 一方日本の教育の現状はどうであろうか。過日のOECDの「国際学力到達度調査」(2004年秋発表)は、日本の子どもたちの学力低下という結果をつきつけられ、大きな関心を呼んだ。その結果に文部科学省などはあわてて「ゆとり教育の見直し」「競争による学力向上」などと言い始めている。しかしこの調査の結果示されたのは、ひとつは、勉強に見切りをつけた子どもたちの増加(それによる平均点の低下)であり、もうひとつは、日本の子どもたちの学力が、実生活から遊離し、思考力や表現力といった人間的な力が著しく低下しているということである。
 その事実を正しく受けとめず、「競争」による学力向上などといった処方箋は、日本の子どもたちをいっそう苦しめるものと言わなければならない。その一方で「日の丸・君が代」の強制、従わなかったものへの処分・再教育といった権力的しめつけも強化されている。校長の権限が強化され明るさ、暖かさを失ってしまった教育現場も少なくない。そうした中で少しでも人間的なものを求めて多くの教職員が苦闘し、子どもたちも歪みを受けながらも必死に育とうとしている。
 本校の学生たちも、そういう教育現場からやってくるのであり、特別の学生が選ばれて入学するわけではない。これまで見てきたようなさまざまな困難をかかえ、残念な蹉跌を見る辛さも例外ではない。
 しかし、その中でも一章・二章でみてきたような学生たちの変化・成長を生み出すことは困難だが可能である。また学生と教職員がともに育つ民主的なオアシスのような校風をつくることも夢ではない。本校の教育はその立証であり、多くの苦悩の中にある学校と教職員にとって、「教育基本法が生きる学校」の生きた実例としての希望の種になりうるものと確信する。本校の教育の発するもっとも大きなメッセージは、どんな時でも「青年・学生の可能性は信頼できる」ということではないだろうか。本校の10年はそのことを十分に立証していると思う。
 もうひとつつけ加えれば、本校が民医連(全日本民主医療機関連合会)の看護学校であるということの意義である。実習先の大部分が民医連の医療機関であるということは、学生たちに「たくらまない教育」(意識しないでも自然に影響を受ける教育)の教育力として浸みこんでいる。患者の人権の立場に立つ医療、生命の平等の理念に立つ非営利・協同の医療を担う民医連のかもし出す雰囲気は、あたかも子が見る「親の背中」のように、学生たちの成長に大きな役割を果している。
 加えて民医連は、人間の成長ということについて根本的な優位性を持った組織である。それは民医連が「ひとりひとりの全面的な人間的発達が組織の発展と不可分の組織」だということである。そこでは、仲間との連帯感、思いやり、優しさ、すべての人間の生命への深い尊敬と愛情といった人間的価値は、組織の不可欠の土台となっている。
 社会にはそうでない組織が無数にある。仲間への思いやりや人びとへのいたわりなど、利潤追及の障害になるとして排除される組織など、企業社会ではめずらしくない。財界が政策誘導し、文科省などがその意を受けて推し進めている今の選別・差別・競争・しめつけの教育では、人間の全面的発達など視野にも入っていない。
 大企業にとって都合よく配分された各級の労働力養成を学校に負わせる狙い、これが今日の教育を歪める最大の要因である。本校がそういう制約を受けず、のびのびと教育を営めるのも「人間としての全面的な発達が、組織の発展と不可分」の民医連の看護学校だからである。そのことの意義は、まさにファンダメンタルなものと言わなくてはならない。
 そうした本校の教育を支え、学生たちの成長を援助して下さった講師の方々、実習指導者、地域の皆さん、すべての関係者の皆さんに心からの感謝を捧げる。
 創立して10年、本校は民医連の看護学校として、教育の荒野を照らすひとつの灯りとして、そして何よりも学生・卒業生のふるさととしてこれからも歩みつづけて行きたい。
*この論考は、2005年9月本校の開設10周年記念誌として刊行された『学生とともに歩んで-教育活動10年のまとめ-』の巻頭論文です。
*著者は当時の校長三上満氏です。