ここに泉あり その1

ここに泉あり -本校の教育が問いかけるもの-

三上 満

はじめに

 「生徒が主人公で、みんなが元気にキラキラしていて、みんなで学び成長するということの原点が、あたりまえのように繰り返されている学校があったこと。そこで送った看護学生の日々」
 ある結婚式に配られた新婦の“プロフィール”で、「今までに一番衝撃を受けたこと」という問いへの新婦(卒業生)の答えである。この思いは私の思いと全く重なりあう。2000年4月から本格的に通い始めたこの学校での日々は、彼女が書いているような衝撃(おどろき)の連続であった。学生たちと睦み合いめんどう見のいい教職員集団、夜を徹してレポートに取り組む学生たちの自主的な“学び”のひたむきさ、多彩に豊かにそして独創的に繰りひろげられる臨地実習やフィールドワーク、額をよせ合い時には“あ、わかった”“見えてきたぞ”などの声があちこちから聞こえるグループワーク、大きなことをなしとげて思わず溢れる青春の涙。しかもこれらが「あたりまえのように」繰り返されていることへのおどろきであった。
 そこには、教職員の自主性や独創を抑圧するものや、学生たちを選別し序列化し、切り捨てる冷たさなどはみじんもなかった。いわば教育というものの原風景のようなものを見た思いがしたのである。もちろん本校といえどもいろいろな人間たちの綾なす社会である。そこには矛盾や不完全さや残念な蹉跌といったことがないわけではない。しかし「ここに泉あり」と感じた思いは、今も少しも色あせていない。
 考えてみれば、ここで見た教育の姿は、一般の学校では権力による統制やしめつけ、子どもたちを「人的資源」としてしか見ない大企業(財界)の教育介入などとたたかいながら、私たちが夢見、また築こうと営々と努力を重ねてきた教育の姿であった。私自身で言えば、学校での教育実践で、また教職員組合の活動の中で、追い求めつづけてきた“あこがれ”にも似た姿であった。あこがれていたものが、ここに「あたりまえのように」ある、そのおどろきであった。
 そしてここでの教育は、あらゆる教育の場に、教育の大きな可能性を示すものとして発信し得るものを持っていると考える。それは多くの教育の場に希望と勇気を与えうるのではないかと。
 今回10周年にあたり、これまであたため考えつづけてきたことをまとめる機会を得て幸いと思っている。

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1.学生たちが展開する“三位一体”の学び

(1)三位一体の学びとは

 “学ぶ”とは、何かが変ることである。知が獲得されテストの点は取れたが、学んだものの内面に何の変化も起きないような「学び」は、ほんとうの学びではない。私の畏友堀尾輝久は、学習指導要領や教科書の枠に固められた「閉じられた知」と、それを現実と結びつけて生きて働く「開かれた知」、あるいは「分析してわかる知」とそれらを統合して得られる「包みこんでわかる知」といったカテゴリーを駆使しながら、“学び”について次のように書いている。
 「子どもたちが、発見の中から新たな問いを見い出し、自分が一回り大きくなっていく実感を味わえるような学習のあり方を保障していくことが、そしてそのような学びの主体を育てていくことが、そしておとなたちもそのような学びを続けていくことが、民主主義の基礎をつくるということになるのだと私は考えています。」(「地球時代の教養と学力」かもがわ出版刊)
 「発見の中から新たな問いを見出し、自分が一回り大きくなっていく実感が味わえるような学び」これこそ本校で繰りひろげられている“学び”を言いあてていないだろうか。
 学ぶものを変え、「人格のうちに統合され生きた力になっていく学び」(堀尾前掲書)とはどのような学びであろうか。ある卒業生(Iさん)の総合実習の発表の“考察”に書かれた次の一文を読んでみよう。
 脳梗塞により、脳細胞は壊死しても、リハビリを行うことで、休眠シナプスの活性化がおこり、新シナプスの形成もおこる。残存部位が、死んでしまった細胞の機能を代償する。これらのことは、教科書上では学んでいたが、W氏を通し、本当に人の体の中でおこっているという事が実感できた。私たちは、自分で気付かないところで、さまざまなすごい機能を持っているんだなと感じた。
 そして、主治医、看護婦、OT、PTとさまざまな人たちがW氏と関わり、応援している事がわかった。しかし、これまでW氏がリハビリをがんばってこれたのは、「家に帰りたい」「また友達と食事に行ったり、温泉に行きたい」という思いが強かったからだと思う。だから、退院が十一月中と決まったW氏の表情は本当によかった。W氏のあんなにもうれしそうな笑顔をはじめて見て、私自身もとてもしあわせな気持ちになった。W氏の願いであった退院までいっしょにリハビリ、自己訓練をがんばってこれた事をうれしく思う。
 でも私は、受け持ち当初W氏にイライラしてしまうことがあった。私は、すぐに感情的になる事がある。小さい頃から、すぐおこると言われていた。また、ひとの話を聞かないとよく兄に言われた。今回の実習で、そのことばを思い出し、確かにそのとおりだと納得した。こんご物事を総合的にとらえ、冷静にどのように対応していったらよいか考えられる看護婦になりたいと思う。
 ここで展開されている“学び”は、いわば三位一体の学びである。脳梗塞によって障害されてもさまざまな回路によって回復する機能を持つ脳という「事物」についての認識、患者の願い、それを支えるさまざまな職種の人びとの情熱、退院の幸せへの共感など、人間についての豊かな認識、そして「イライラしてしまう自分」をふりかえり自分の成長の課題をつかむ「自己」への認識。この三つの認識の成長(学び)が、短い文章の中にみごとにこめられている。「人格の中に統合され、生きた力になる学び」とは、こうした“三位一体”の学びではないだろうか。

(2)事物への認識-現象から本質、法則へ

 臨床実習では学生たちは、まず何よりも「観察する」ことを徹底的に学ばされる。こういう患者はこうなっている筈というマニュアルでなく、「ありのままの事実」から出発することを教えこまれる。ある段階の実習では観察力を養うためにカルテさえ見せられず、ダイレクトに患者のところに向う。学生のレポートには、観察力の不足を反省するものがじつに多い。ある卒業生(Sさん)のレポートを読んでみよう。
 「術後臥床生活が続くO氏の観察を続ける中で、術後三日目にO氏の足が尖足気味だということに気付いた。術前も歩行には軽く身体を支えるなど少し介助が必要であったが、きちんと立って歩いていたO氏の足が術後たった三日目でこのような状態になってしまったことに驚き、すぐに足関節のマッサージにリハビリを加えた計画を立てて実践していった。術後は主に合併症の対策を重視してしまいがちだが、身体機能も含め最低でも術前の状態に戻ることが基本であり、O氏のように心疾患が回復しても尖足により歩けなくなってしまっては、本当の意味の回復とはいえないと思う。このことから疾患だけに目を向けるのではなく、臥床による身体への影響など環境の変化によって起こることも考慮し、患者さんの全身管理を行うことの重要性を実感することができた。」
 SさんはOさんの中に「尖足」(足関節の拘縮でまがらなくなる状態)という思いがけない変化が起っていたことを見落していた。そのことを反省し、患者さんの全身をもっとよく観察することの必要性を学んでいる。
 観察は、現象を把握し「事物への認識」に至る土台である。しかし「事物への認識」は、観察による現象の把握にとどまるものではない。現象の奥深くかくされ、ただの観察のみでなく、さまざまな科学による解析を通して得られる、事物の本質、そしてその本質の働き(存在形態)であるところの変化(運動)、変化(運動)の必然の因果関係、そうした必然のつらなりである法則、こうした事物への深い認識に到達することによって、看護計画も科学的に立てられ治癒、回復といった望ましい結果(自由)を得ることができる。
 学生たちの臨床実習での豊かな「事実との出合い」(観察)は、学生たちをこうした深い学びに導かずにはいない。それは、先のIさんも書いているように、教科書から学んだ知のたしかめであり、いろいろな知の結合であり統合である。そして学生たちはより深い認識(知)を得て、次の実習に向っていく、まさに堀尾氏の言うように「発見の中から新たな問いを見出し、自分が一回り大きくなっていく実感」を感じつつ学んでいくのである。

(3)人間への認識-個別性の発見、まるごとの人間として

 「教育の仕事はおそらく例外であろうが、この世の中に看護ほど無味乾燥どころかその正反対のもの、すなわち、自分自身はけっして感じたことのない他人の感情のただなかへ自己を投入する能力を、これほど必要とする仕事はほかに存在しないのである。」(ナイチンゲール「看護覚え書」補章)
 「他人の感情のただなかへ自分を投入する能力」・・・これは学生たちの“学び”のもっとも大きな課題のひとつである。本校の実習では患者さんを「生活史からまるごと理解する」ことや疾病を生活と労働の中からとらえる学びが要求される。そして学生たちは患者が、単なる治療対象の病者としてでなく、人間らしく生きる権利を共に実現するパートナーとして見ることができるように、看護観を成長させてゆく。ひとりひとりの患者のさまざまに異る個別の願い、ひとりひとりによって異る回復のプロセス、さらには医学上正常とされているさまざまな数値にさえ、その人にとってのベストには個別性があることにも気づいてゆく。
 そうしたひとりひとりの患者やその家族の願いに共感し、よりそうことができたとき、学生たちはいつの間にか、自分の中に患者という“他者”がしっかりと住みつき、ともに生きている自分を発見する。次の文は、そうした看護観のみごとな成長を物語っていると言えよう。
 「最後に、この実習で私は自分の新たな一面を発見した。それは、N氏が初めて苦痛ではない事を発言した時に、N氏が良くなってきていることに気付き、自分の事のように喜んでいる自分がいた事だ。今までも、患者さんが良くなったりしたときは嬉しかったが、今回の実習までは自分の事のように思えていない部分があったのだと思う。そんな自分を発見できた事は嬉しかったし、驚きでもあった。その気持ちを忘れずにいたいと思う。」
 患者さんの喜びを、思わず「我が事のように喜んでいた自分」の発見、それはふいにやってきた飛躍でさえある。
 次のような患者の思いがけない人間性・プライドに出合うこともある。マニュアル化した対応をされるのを患者みずからが拒否するのだ。
 「実習中に、訪問看護師が来た際、Y氏から「早く家に帰りたい」との言葉が聞かれ、看護師がY氏に「今、Yさんがいる所はどこですか?」と聞くと、「今、いる所は飯田橋の鉄橋の下」と答えた。この状態を看護師は「見当識障害があるんじゃないか?」と言っており、「今はきっと混乱している時期」と、Y氏のベッドサイドで話した。すると、この話を聞いていたY氏は「私はまだ混乱していない」と少し怒り口調で言い、「転んで頭を打って、頭が少し変になったと思われてるけど、全然大丈夫だ。医師にも言っておいてくれ」「もっと人格的に扱ってほしい」と言っていた。」
 このようなさまざまな出合いを通じて、学生たちは患者さん達を好きになっていく、これこそが看護のもっとも基本的な土台と言えるだろう。患者さんから「姫」と呼ばれていたある学生は、レポートの終りに心おどらせながら次のように書いている。
 「Iさんから「あなたはいい看護婦になるわよ、あたしが太鼓判押してあげる」。Kさんからは泣きながら「本当に嬉しい、ありがとう。がんばるよ!姫も負けちゃだめだからね。帰り気をつけるんだよ。本当にありがとう。遅くまでありがとう」という言葉を裏切らないようにいつも胸において頑張っていこうと思う!」

(4)自己への認識-きびしい自問自答の中から

 学生たちのゼミの発言などを聴いていると、看護とは“おのれ”と向き合う仕事なのだとつくづく思う。学生たちは実習の中で、日々の学校生活の中で、いやおうなしに人間の生命とかかわる看護という仕事につこうとしている自分と向き合っている。その問いは深く、その姿勢は時にこちらが切なくなるくらい、誠実である。
「“患者さんの立場に立つ”ことと“患者さんに同調しない”の共存が難しくて、結局あたふたして、何も出来ないうちに実習が終わって…だから私の症例は常に“反省文”だ。
 私にとって、症例の総まとめである“考察”を書くことが一番苦しかった。“未熟な自分”を自分で分析するのは、拷問のごとく辛い作業だった。
 自分を見つめ直す。ずっと、ず~っと、足元まで見つめ直す。この学校では、それが出来たんだと思う。それは時には、ここまで生きてきた自分を、否定するような事でもあった。」
 これは教育学の授業のラストに、いつもまとめられるレポート集の中の、ひとりの学生の文章である。「私の症例(症例レポート)はつねに反省文だ」という言葉の中に、自分をみつめる誠実さが痛いほどこめられている。そして彼女は「自分を足元まで見つめ直す」ことが、この学校ではできたと書いている。経験もあり家庭も持つ看護第2科(2年過程)の学生の文章だけに心打たれる。
 ある学生は、最後の総合実習で、何か真剣になり切っていない自分が患者との関係に微妙な距離を生んでいることに気づき、3年間の変化を考えさせられた。そして次のように書いている。
 「自分は、病態を字面でしか見ていなかったからN氏の痛みや辛さを自分の物として捉えられないのではという指摘をうけた。それまでの自分の実習を振りかえってみて1年生の時とは実習に臨む姿勢が年々変わってきていることに改めて気付かされた。薄々は思っていても、それを口に出すのが怖くて認めたくなかった。だが、実際は年々、実習を重ねるたびに手の抜き方を覚えていった。1年生のときは、全身で患者さんにぶつかっていっていたが、それが徐々に出来なくなっていた。だから、患者さんの痛みを自分のものとして考えられないのだと気付いた。これを、自分の口に出したときは本当に自分が看護師としてやっていけるのか、自分の人間性を自分で考えた。自分が患者さんに深く踏み込めないのは患者さんの性格じゃなくて自分の方に問題があったからだ。このことを見抜かれたときは本当に情けなくて、恥ずかしくて実習をしていいのか、N氏の前に立っていいのかを考えた。今まで本当に患者さんに失礼なことをしてきたと気付かされた。だから、実習最終日がくるまでの残り少ない時間だけどN氏と全身でぶつかっていこうと思った。」
 次のような文などまさに、質の高い自省録であり、人間の知への「哲学的省察」と言ってもいいほどの文である。
 「今までは、実習中に明確な答えをみつけなければいけないという思いがどこかにあり、それがプレッシャーとなっていた。出来なかった、わからなかったこともあり、いつもやり切ったという思いはなく、もっと何か出来たかもしれないと実習後も引っかかっていて、それが駄目な事だと思いどこか自分を責めていた。前回の老年実習の時は、求められることに対して出来なかった事も多く、焦ってしまい、心に余裕も持てず、精神的にも肉体的にも辛かった。…(中略)…
 (今度の総合実習は)最後なのだから楽しんでやろう、また頑張ろうと自分にプレッシャーをかけるのではなく、あきらめないでやろうと考えることで、気分が楽になっていた。         
…(中略)…
 また、出来ないこと、わからないことに負い目を感じる必要はなく、明確な答えを見つける必要もないのだということを教えてくれた実習でもあった。出来ない、わからないから勉強するのだし、どうすればいいのか考える。これだという答えを見つけてしまえば、そこで終わってしまうし、それしか見えなくなってしまう。例えひとつの答えを見つけたとしても、それが絶対ではなく、患者さんにとって本当にこれでいいのか考え続けていくことが必要であるとわかった。」
 「できないこと、わからないことに負い目を感じる必要などない」「できない、わからないから勉強するのだ」「ひとつの答えをみつけたとしてもそれは絶対でなく、…これでいいのか考えつづけていくことが必要なのだ」
 自己への誠実な問いから、おのずから生れたこれらの言葉は、「真理の相対性と絶対性」「真理の実践による検証」といった唯物弁証法的認識論の中心部分に肉薄しているとさえ言える。それは又、ナイチンゲールの次のような言葉を想起させる。
 自分のことを「私はいまや『完全』なそして『熟練』した看護婦であって、学ぶべきことはすべて学び終えた」と思っているような女性は、《看護婦とは何か》をまったく理解していない人であり、また《これからも》絶対に理解することはないでしょう。彼女はすでに退歩して《しまって》いるのです。(ナイチンゲール書簡1)
 “学ぶ”とはこうした三位一体の認識を発展させることである。事物への認識は、願ったことを実現する“自由”を広げ、人間への認識は“愛”を豊かにし、自己への認識は“希望”をはぐくむ。学ぶとは、仲間とともに今ある自己を乗りこえながら、自由と愛と希望を紡いでいくプロセスである。本校の学生たちは青春のただなかでひたむきにそのプロセスを歩んでいる。

2.学生たちの変り目を探る

(1)視点から視野へ、認知から認識へ

 前章で引用したSさんのレポート(尖足を発見し全身管理の必要を学んだレポート)は、次のように続いている。
 「また常に広い視野で見ていかなければならないことを学び、一つのことに目を向けすぎてしまう自分の視点を視野といえるものに変えていけるよう常に心掛けていきたいと思う。これは私自身の一生の課題であるかもしれないが、少しずつでも広げていけるよう多くのことを臨床という場で今後も学び続けていきたい。」
 「視点から視野へ」何とすてきな言葉であろうか。Sさんは狭い範囲しか見ることのできなかった状態を“視点”状態と認識し、それを広げて、視野といえるものを持たなければならないと自覚的にとらえる。
 学生たちはまた臨床実習の中でさまざまな矛盾に直面する。緊急入院したホームレスの人は、退院後どうなるのだろうか、家族とのかかわりの薄い患者の孤独な姿、それらには今の日本社会の矛盾が映し出されている。介護保険や医療制度改悪など、社会保障の貧困の実態にも、またそれと結びついた医療現場の多忙さやスタッフの過密労働の実態にもぶつかる。あるグループのレポートは書いている。
 「私たちは看護の力の大きさを知った。手厚い看護をすればあきらかにADLが向上する。その力を知ってしまった故に、悩みも大きくなった。その力を臨床で十分発揮できるのかと」
 このグループはその矛盾の中から、困難をきり拓きたたかってきた医療労働運動に着目する。結婚・居住の自由といった原初的な権利要求をかかげてたたかってきた終戦直後の運動から、いわゆる二八闘争、ナースウェーブまで学びを広げる。その中で、あきらめないでたたかってきた人たちの後に続こうという地平に立つ。その地平からいっそう広い視野がひろがるのだ。Sさんは自己の成長の変り目を「視点から視野へ」と表現した。これはとりもなおさず私たちの教育の「視点」でなければならないであろう。
 もう一人のSさんは、実習中に、思うように動けない自分に苛立ち、パニック状態になった受持ちの患者のAさんから「お前は看護師として失格だ。お前には心がない。もう来ないでくれ」と怒鳴られてしまった。しかしSさんは患者さんの怒る、怒鳴るという行為の奥にあるものを次第に理解できるようになり、徐々に患者さんのペースもつかめ、興奮させることも少なくなっていった。そして最終日には「本当にありがとう。皆にかわいがってもらいなさい」と声をかけられ、涙、涙で実習を終えた。そしてレポートの最後に、Sさんは次のように書いている。
 「A氏の、怒鳴るという行為は性格的な問題ではなく、また誰かが憎くてとった行為でもない、A氏なりの不安を訴える表現の一つであるとわかった。しかし、それを捉え応援していくには患者さんの訴えや病態、生活史などから捉え把握することから始まると学んだ。私は、今回の実習で患者さんを丸ごと捉えることの重要性と意味を認知から認識にすることが出来たと思う。この学びを生かし臨床でも患者さんを多様な角度から捉え応援していきたい」
 このSさんは、患者さんを共感をもって理解することの重要性を、「認知から認識へ」という素晴らしい言葉でしめくくっている。
 この「認知」「認識」というタームこそは、哲学(認識論)の最も基本的なカテゴリーに他ならない。戸坂潤によれば「認知」と「認識」の区別を明確にしたのは、新カント派の哲学者たちだそうである(『認識論』新装版、青木書店、9ページ)。ベカント(bekannt認知された)とエルカント(erkannt認識された)とは同一ではない。ベカント(認知)されたものは、つなげられ、内面化され、現実の世界を切り拓く知、すなわちエルカント(認識)されたものにならなければ、本当の知ではない。Sさんは、教科書(看護学概論や心理学)では、患者の内的葛藤への理解の重要性などももちろん習っている。すなわち認知している。しかしSさんは、じっさいに患者さんと苦楽をともにするなかで、そのことの認知だけでは不十分で、自分の人格の中にしっかりと住みついた知として、認識にまで高めなければいけないことを、それこそ文字通り“認識”したのである。
 この「認知から認識へ」ということも、学生の変り目の重要な内容をなすと考える。それは平板な知から生きた知への飛躍である。「視点から視野へ」「認知から認識へ」学生自身がみずからの苦闘の中から発見したこのふたつの変り目は、私たちの教育にとっても学生をその変り目へ導いてゆく目標でもある。

(2)“その気”をはぐくむ四つの出合い

 人間の学び、成長の原動力となるものは“その気”である。他の動物のように自然の摂理にしたがって、その枠内で学び、成長するのと違って、人間は自己の内部に生まれる、学ばずにいられない“その気”をエネルギーとして学び、成長する。だからすぐれた教育者はみな、“その気”を耕すことに腐心する。次の詩は私の作ったものであるが、“その気”になって挑戦する子どもの姿を意識して書いたものだ。

新しい僕
ふみ切り板をけった 勇気をバネに
先生に言われたとおり
思い切って、とび箱のいちばん先に
両手をついた
体がふわっと浮く とべた!
その時僕は僕でなくなり
あたらしい僕がマットに立った
友だちの拍手が聞こえる
“できたじゃないか よかったな翔太”
大好きな言葉が
風のように体の中を吹きぬける
ぼくはとぶんだ これからも
新しいぼくに向かって

 学生たちの大部分は、受験時にすでに看護師になるために学ぶという“その気”を獲得している。そこに依拠しそれをいっそう豊かにしつつ自発的に学ばせ、成長させることが課題となる。学生たちの“その気”を耕す最も豊かな泉は“出合い”である。出合いのフィールドを豊かにすること、これが意識的に追及されるのが本校の特色のひとつと言ってもいい。
 地域フィールドや、生活と労働フィールド、農業体験、栗生楽泉園のハンセン病元患者の方々への訪問、研修旅行などで、学生たちはこの時代を真摯に生きているさまざまな人びとと出合う。もちろん臨床実習での先輩ナースや患者の方々との出合いは、もっとも豊かなフィールドだ。学生たちのさまざまな発表から私は、それを「四つの出合い」と位置づける。

①みじめな至らない自分との出合い

 ひとつは未熟で至らない自分との出合いである。学生たちのほとんどすべてのレポートに、そうした出合いが語られる。
 「この二日間の病院探検で私が特に感じたことは、自分の無力さです。病棟見学に行ったとき、喉に管をつけていて、声を出すことができない患者さんの訴えを理解できなかったとき、私は何のためにここにいるんだろうと思い、とても悔しかったです。患者さんはとてもつらい状態にあるのに、私が理解できないため、何度も聞き返したのにもかかわらず、結局理解できないまま、その患者さんのもとから離れてしまいました。今思うと、その患者さんはとてもつらかったと思います。とても申し訳ないことをしました。次に患者さんのもとへ行く時は、患者さんの訴えを理解して、少しでも患者さんの役に立てるようになりたいと思います。」
 1年生の最初の実習である「病院探検」の初々しいレポートである。こうしたみじめな自分への悔しさは、新しい学びへ転回するバネになる。学年が進み実習内容が深まっていくにつれて、こうした出合いが、時に深い自信喪失に向うケースもなくはない。したがって私たちは、みじめな自分と出合って苦しんでいる学生に、心からの共感と応援を惜しんではならない。本校には、それを学生をいっそう深い不信に追いこむ底意地の悪いあらさがしなどのムードは一切存在しないと断言できる。

②あこがれの人との出合い

 ふたつめは自分の成長のめあてとなるような“あこがれの人”との出合いである。
 「看護婦さんが、「胃から食事をとっている人のごはんを作るから見においで」と呼んでくれて見学にいった。主に水分で、点滴のようなパックに人肌ほどにあたためられた栄養価の高いものを入れていく。それを患者さんのとこに持っていくのについて回る。とある一人の患者さん、のどから酸素吸入をしていて声が出ない患者さんのところにいった。患者さんはナースに何かを訴えている様子だったが声にならないため、私たちは何を言っているか全然わからなかった。しかしナースは「これ入れるとお腹いっぱいになっちゃうからゼリー食べてからがいい?」「わかったわ」と患者さんの言っていることがしっかり解ったようだった。ナースに「なんでわかるんですか?」と私たちが聞くと「やっぱり愛でしょ」といっていた。私たちはとても感動した。」
 これも「病院探検」のレポートの一節である。先輩ナースがさりげなく見せる力量、学生たちの心に「あのようになりたい」という“あこがれ”が生れ、自分の中に自分が二重写しになる。今ある自己とあるべき自己との葛藤、それこそが学び、成長の原動力に他ならない。

③自分を必要としている人との出合い

 三つめは自分を必要とし、自分のしたことを喜んでくれる人との出合い、いわば価値ある自己との出合いである。
 「陰部清拭をして少し話しをしていたら、もう帰らなければいけない時間になってしまったので、他の患者さんに挨拶をしてから、また来ますねと言い、Tさん、Wさんに挨拶をしに行き、H氏の病室に戻る頃には涙が止まらなくなっていた。これで帰りますねと、手をにぎりながら声をかけると、H氏も泣いてしまった。お風呂の時はごめんなさいと私達が謝ると「なんで?ちゃんと出来たじゃない。きちんと仕事も覚えたじゃない」と言ってくれたのでとてもうれしかった。みんなが病室から出ようとしてもH氏は私達に手を伸ばしていたので、もう一度手をにぎってお礼を言ったらH氏は力強く手をにぎって離さなかった。その手を離して帰るのが、とてもつらくて悲しかった。これからの実習で、H氏から学んだ事を活かしていける様に、練習や勉強をしなければと思った。」
 この出合いをもたらしてくれる最大のものは、実習で出合う患者の方々である。この出合いは学生たちにとって最も嬉しい出合いだろう。

④まんざらでない自分との出合い

 実習中に一科の一年生と三年生がかち合うことが稀にある。そんなある時私はたまたま病院に行った。励ましてやろうと病棟へ上っていくと三年生のNさんたちがいた。Nさんが言うのである。
 「一年生たちが来てるでしょう。見てるとハラハラして、手を出してやりたくなっちゃうの。自分で経験させなくちゃと思い我慢してるんだけど、それってけっこう辛い。あたしたちも二年前はあんなだったのかなと思うと、気がつかなくても随分成長してるんだなと思った」
 人間は100%すばらしい自己とは決して出合うことはできない。しかしふと気がつくといくらか成長している。“まんざらでない自分”には出合うことができるものだ。「君は成長しているよ」と、それに気づかせてやるのも教育指導の大切な柱となる。
 これらの出合いを通じて、人生における最大の変り目に学生たちは出合う。それは「自分を好きになる」ということである。みじめな思いをしながらも、あこがれを捨てず、自分を喜んでくれる人びとに自分の価値を見つけ、ふりかえって“まんざらでない”と思える自分、そんな自分を学生たちは“好き”になってゆく。ある学生は総合実習レポートの最後に次のように書いた。
 「総合実習では、自分に欠けていた物を学ぶ事が出来た。今、三年間の学生生活を振り返ってみて、ここに自分がいる事や、毎日学べている事が嬉しい。自己満足でも今の自分は入学当初の自分より何万倍も好き。こんな自分になれたのは、諸先生方をはじめクラスの人達のお陰です。ありがとうございました。」
 教育とはつきつめて言えば、「自分を好きにさせる仕事」と言ってもいいのかも知れない。

(3)「ひとりで」から「みんなで」へ--グループワークの意義

 本校の教育の特長のひとつはグループワークである。これは時間割上ではGWと表記されるから、初めての一年生はゴールデンウィークかと思う。生命活動の学び、地域フィールド、研修旅行の事前・事後の学習、臨床実習とそのレポートづくりなど、多くの学びはグループワークとして行われる。
 受験のための勉強に追われ、序列化された体系の中でバラバラにされ、こうした集団での学びの体験をほとんど持たない学生にとっては、これはもっとも苦手なものであった。「何でグループでやらなければいけないのか」「自分ひとりでやった方がずっと能率がいい」「みんなの中で自分をさらけ出すのが恐い」などの反応が初めのうちあるのは当然である。
 しかしグループワークそのものは、臨床で仕事についた場合の労働形態そのものであるし、また集団で学び合うことの“すごさ”をやがてわかってくれるという信頼に支えられて、この学習に乗り出していく。グループの中の人間関係のもつれや、とけこめない自分への辛さなど、しんどい場面も決して少なくはない。そうした辛さを訴えて泣く学生の姿だって珍しくない。しかし教員の側に、学生たちがそれを乗りこえていくという信頼がある。そして学年が進むにつれて学生たちは、ひとりひとりがみんな少しずつ正しく、少しずつ誤っているか不完全であることに気づき、みんなで学び合うメリットもわかるようになり、グループワークという学習形態を我が物にしていく。ここにひとつの、グループワークの成長とそのダイナミズムを深く分析した、価値あるレポートがある。少し長いがそれを引用しよう。

考察①グループワークを通じて

 グループワーク(以下GWに略)当初、今まであまり接したこともないひとたちが集まっていた私たちグループ(以下Gに略)は、皆の性格がつかめず、ギクシャクしてしまう面が多かった。どうしたらいいのかもわからず、その人へのイメージが固定概念として植えついていたため、それを変えていくことも各々大変だった。しかしそのうち、その人を否定するのでなく、受け入れていくことが大切なのだということに気がついた。初めのうちは受け入れるだけの器もできておらず、どうしたらいいのかわからなかったが、その後自然と受け入れられるようになり、そのことの重要性を段々わかるようになってきた。
 それからは、皆で一つのことを同時に学んで行くという方式で、学びを深めていった。「わからないことや疑問は皆で言い合おう」と言っていたこともあり、だんだん言い合いができるようになって、わからないことは聞けばいいんだということがわかるようになってきた。「わからないことは恥ずかしいことではない」と思えるようになった。今まではわからないことを質問しようとしても、自分が理解できていないことがわかってしまうという恥ずかしい思いがあり、質問ができない人もいた。そういう場合、初めは「まあ、私がわかっていなくても皆がわかっていればいいや」という思いがあったのだが、そういう人も次第に「進化の過程」に対して「ここはどうしてこうなったんだろう?」といった疑問を持つようになっていった。そこから私たちは後で振り返れるようにと、わからない人が自己学習できるという意味で記録物の重要性がわかった。そして班内も「わからないことがあっても質問ができずに(まあいっか!)で済ませてしまっては、授業をただ受けているのと同じ。私たちは皆がきちんと理解して班全体の学びになるようにしていこう!」という雰囲気になっていった。わからないところがあれば全員が理解するまで考えるというようにしていき、イマイチ理解できていなそうな顔をしている人がいたら声をかけていくようにした。そうしていくうちに、だんだん疑問や質問などができるようになっていった。初めのうちは質問もおそるおそるという様子があったが、その質問で学びが深まると、学習が楽しくなっていき、どんどん意見や質問が増えていった。
 そこで私たちはGWで意見が言い合える環境というのは、とても大事なことだと改めて実感した。GWでの話し合いを深めれば、班員同士の意思疎通もしやすくなる。意思の疎通ができるようになると、雰囲気も良くなり質問などもしやすく、学びも深まっていくということがわかった。
 そして私たちがこのGWの中で一番の学びとなったのは、そのGWの行い方である。私たちの班は皆で一つの物を学んでいくという方式で学びを深めていった。一緒にその場で読み、一緒に考えていくというやり方である。最初このやり方で行い雰囲気も良くなり、質問なども出しやすいようになっていった。また、活発に意見を言えるようになっていった。しかし、一時期進行が滞り、レクチャー方式にやり方を変えてみた。教える側と教えられる側と分かれた途端、意見や質問がいえない雰囲気になってしまっていた。またその内容の理解も納得するだけで、決して自分の学びにはなっていなかったのだ。担当者がわかっていれば自分はわからなくてもレポートはできるというようになってしまい、再び元の方法に戻した。レクチャー方式で行うと進行も早くてよいが、全員が同じ到達点をめざすときは、この方法は適さないとわかった。一緒に行い、一緒に感動するという方法は生命活動の学びを班全員の学びとすることができた。
 長い引用になったが、じつに価値ある、深い洞察にみちたレポートだと思う。グループワークの経験をこれだけみごとに綴ったレポートは、本校のあまたのレポートの中でも、おそらくこれだけだろう。しかしこの中で語られた体験は、ほとんどすべての学生の共通の体験と言っていい。
 あまりグループワークなどというものの経験がないみんなが、はじめギクシャクしながら、しだいに“違い”を知り、他を受け入れられるようになっていく姿、「わからない」と言えることが恥ずかしいことではなく、大事なことなんだと学んでいくプロセス、いろいろな質問がでるようになると、“学び”が深まっていくという実感、そのことによって、意思疎通もよくなり、学びがいっそう深まっていくという相乗効果、早く進行させようとあせってレクチャー方式をとり入れてみて学習の質が下がってしまい、「自分の学びになっていない」という気づき、そういう失敗をふまえての学び方の軌道修正、そしてグループワークのすばらしさの全員での確認に至る。ここにも学生の大きな変り目がある。